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「Facebookは、政治や政策の話もありだと考えます」

以下の作文は、日本最大のNGO≒“ロータリークラブ”を、サブナショナルと位置付け、私の思いを作文したものです。

ファイスブックには、政治や政策に絡む問題について、記述される方はまれですね。美味しそうな食べ物や楽しい話題、そして、自分の現在いる場所の開示、さらに趣味について、人によっては自分の行っている事業のことなどを紹介したりしています。しかし何故か、主義主張を記述される方は少ないようです。触れたくないのは分かりますが、SNS(ソーシャルネットワークシステム)の発達は、人の主義主張ができる効果的なサイトとして活かされるべきだと私は考えますが、こうした考え方を受け入れる人は少ないのでしょうね。

一方で、SNSの一つであるYou Tubeは、露骨に主義主張のやり取りを映像化、あるいはインパクトの強い文字配信が積極的に行われています。NHKニュースや、朝日放送の報道ステーションでは伝えてくれない情報(ただし、どこまで信じられるか、自分で検証が必要なケースも考えられる)などがあり、ついぞ見入ってしまうものもあります。個人の主義主張には、多様性を受け入れる必要性が前提になければなりません。好き嫌いで判断したり、“ロジックとして納得できるから、その考えにも私は賛成である”と思ったり、“特定の個人や国家に対して偏見を持って見ているので私は反対”、といったように、主義主張に対する反応には当然、多様性があって当たり前だと私は考えています。現在のFacebookは、そんなに肩肘張らないで、“さあ、楽しくやろうぜ”と言った点から、広く受け入れられているのかも知れません。

ロータリークラブのコミュニケーション

かつて、私がロータリークラブに所属していた頃、ゾーンや地区、さらに個別クラブ間を横断したコミュニケーションツールとして、“ロータリーインターネット”が立ち上がったことがありました。ロータリーインターナショナル(RI)の方針に対する賛否や、それぞれの言い分が吐露されたり、「ロータリー憲章」の解釈を巡って議論が炎上したり、また個別クラブのあり方や存立に関する議論などが、結構頻繁に、かつ熱いやり取りがあった時代がありました。この時代には会費がありましたので、総会も開かれています。

それが、Facebookの登場により、全く趣の変わった情報交換が展開されるようになりました。言葉でやり取りするより、映像の方が何倍も伝えたいことが明確にできるし、それまでの文字による情報交換から、スムーズに映像(静止画のみならず最近は動画も増えています)によるコミュニケーションに移って行ったというのが実際でしょうか。Facebookへの移行は当然の成り行きと言うのでしょうか。多くの人がスムーズに受け入れた結果の、コミュニケーションスタイルとなったようです。

私も、ロータリアンの時代に、“ロータリーは政治や政策については語らない。そうしたボランタリー組織である”と教えられた記憶があります。何も言わず行動している姿を見せて、これが「ロータリー精神」だと言った形のメッセージをよく目にしました。でも、ボランタリーな活動そのものを効果的に進められるには、やはり政治や政策との太い関わりの中で成立していることを、皆さんは語らない。学校の生徒を動かすには、教育委員会との関わりは欠かせません。社会の中の諸活動には、それぞれに関係する行政組織との良好な関係構築は不可欠です。

ロータリーの開発途上国支援

開発途上国の支援についても同様です。相手国政府を無視した支援は考えられません。こうした関わりの中で、何故か大きな矛盾や課題について、表に出すことを避けてきたように、私は思っています。より多くの人に現実を知ってもらう。その意味で、ロータリークラブは、沢山の問題事例に関する情報を持っている組織であると考えています。言わば、「情報の宝の山」を抱えています。「情報の宝の山」としたのは、ボランティア活動における様々な問題点や課題につきあった経験が豊富にあるということ。これが開示されれば、問題解決のための資産に生まれ変わると見たからです。

例えば開発途上国で、飲み水確保のために、未就学児童が片道2時間も掛けて水汲みをしている。こうした子供達に教育の機会をと考え、井戸掘りの支援事業を行ったとします。めでたく井戸を掘り当て、未就学児童の過酷な水汲み労働は取り除くことができた。さて、この子はすぐさま学校に通い、テキストを前に勉強に付くことができたのでしょうか。

ロータリーのプロパガンダ誌には、住民の喜ぶ写真が紹介され、これが支援の喜びと言った姿を良く目にしました。しかしその後、子供たちはどうなったのか、フォローした情報を目にすることは少なかったように思います。水汲みの重労働はなくなったが、学校には行けずに相変わらず家事の手伝いで1日を過ごしているかも知れない。こうした支援は、課題の一断片を捉え、その断片の解決が支援目的となっているケースが多いようです。

開発途上国の多くは、個別の問題処理では根本的な課題解決には向かいません。これらは政府レベルで、行政単位レベルで、当該国の実態を把握する必要があります。村やコミュニティーへの支援だけでは、まさに課題の断片の処理に過ぎません。そういう意味で、開発途上国支援は、国対国、地方行政対地方行政、そして他のNGOやロータリークラブが関与する形である必要があります。問題の根本に関わる必要があり、そのためには支援プロジェクト単位で組織化が不可欠です。

しっかりしたポリオ支援プログラムと中途半端な支援

ロータリーのポリオ支援が、その良いケースでしょう。「ポリオの撲滅運動」は、国連のWHO(世界保健機関)やUNISEF(国際連合児童基金)、米国疾病予防管理センター(CDC)、そしてロータリーが関わっています。綿密に練られた計画に基づき、開発途上国に入って、関係者(医者や看護師、多くのボランティア)によって運営されます。ポリオのワクチンは温度管理が重要で、そのための施設が必要となります。しっかりした建物の中での管理か、また戸外のテントでの管理か、その場合は仮設電源が必要となります。こうしたプロジェクトを成功させるために、実に多くの人々が関与し、そしてお金が動きます。ロータリアンは医者であろう協力者であろうと、当然ボランティアです。ポリオの撲滅運動に歴史があり、プログラムもしっかりしている。しかし、他のプロジェクトはどうでしょうか。事前調査やフィージビリティスタディーなど、推進プログラムがあいまいであることが多い。したがって、支援の在り方も前述した通り断片的になってしまい、根本的な課題に触れずじまいで、中途半端な支援に終わってしまうのが多いのではないでしょうか。こうした、問題点や課題を表に出し、支援の在り方について、その実態をより多くの人々に知っていただく必要があると思います。

開発途上国支援にはプロフェッショナルが必要

日本人と外国人、先ず、考え方が根本的に異なることを前提に考える必要があります。私たちの価値観で物を見ると、見誤ることが多々あります。したがって、開発途上国に向けた支援あるいは援助は、やはりその道のプロフェッショナルが必要だと考えます。先ず、ハードネゴシエーションは当たり前ですし、カウンターパートが責任を持って受け入れるには、それなりに相手国の政府や地方政府とのコネクションが必要不可欠だと考えます。まれにその支援が、すでに日本から送り込まれているJICA(国際協力機構)の青年海外協力隊と、コラボレーションできた話も聞いたことがあります。

ロータリー国際支援は、ポリオ支援を除いて、クラブ単位で進められる海外支援テーマを、長期に継続することをしない暗黙の了解があるようです。つまり、限定的(断片的)なテーマを対象に単年度で終わり、その代りに幅広く多くの断片的テーマの実績を作ろうとしているのが実際です。日本の青年海外協力隊とのコラボレーションで、思いのほか上手く行った支援テーマがあったとしても、青年海外協力隊の実態を知ろうとしないのがロータリアンです。例え知っても、それ以上のことはロータリーの海外支援コンセプトと異なるからか、日本国政府が送り出している青年海外協力隊については、深く知ろうとする動きは見られません。国家が進めている財産とのコラボレーションを積極的に考えようとしないロータリーは、おのずと視野は広がるとは思われません。青年海外協力隊は日本のODAの一つですが、協力隊員らの多くは純真に開発途上国の支援をしたい、という思いでその世界に飛び込んでいます。しかし、現地に派遣され、その現地条件の劣悪さ、あるいはカウンターパートの理解不足や資金的な不足等々により、自分の任務が遂行できなくとも、彼らの意見(提案や新たな具申、予算要求等)や苦情をJICAにフィードバックもできないのが実態のようです。ロータリークラブと出会って、彼らのミッションが良好に続けられるケースはごくまれですが、こうした場に遭遇する青年海外協力隊員は幸せです。

かつてのODAと箱物援助

日本は、かつて米国に次ぐ世界第2位のODA大国として、多額の援助を進めてきた実績がありますが、いずれも「箱物」(橋や道路、あるいは空港や発電所等)と言われるものの支援が多く、施設の完成後はその維持費の高さに、多くの施設は継続使用されず、初期目的を果たさないままに朽ちてしまったものもあるようです。皆さん、ご存知でしたか、初期の北京空港は日本のODAでできたものです。中国政府は、この空港の株式を上海証券取引所に上場すると言う、ODA始まって以来の珍事が発生。さらに新空港開港に当たって、本施設が日本のODAで実現できたものと言った記録が、施設のどこにも示されなかったので、日本の外務省関係者と、中国政府との厳しいやり取りがあったようです。

それはともかく、日本が高度経済成長の絶頂期までは、少なくとも潤沢なODA予算外が計上され、前述した箱物をせっせと作ってきたのが実態です。しかも、これらを請け負うコンサルタントの仲間内では、予算の半分はアンダーザテーブル(under-the-table)で消えるもので、これがうまくやれないコンサルタント会社は仕事ができなとも言われていた時代がありました。こうした問題は、建設コンサルタントのみならずAMDA(国境なき医師団)が絡む案件でもあったようで、日本のODAが如何に主体性のない支援を行っていたか、ご理解いただけると思います。プロジェクトの成功のための必要悪と言うのは、あまりにも国民をばかにしたやり方であり、あきれるばかりです。

「Japan as No.1」の宴が終わり、ODA予算は縮小され、高度成長期のような出来事は改善されてきたと言われていますが、せっかく施設整備を行い、その施設の運用技術を現地技術者に移転しても、そのスキルが民間会社に高く売れるので転職してしまうと言ったケースは、決して「まれ」な現象ではありません。日本の高度成長期までの開発途上国への援助は、前述したような状況があったようですが、ODA資金は言うまでもなく国民の税金です。以上のような状況が皆さんに公開されていたとした場合、皆さんは、どのような行動を起こすでしょうか。物事には表と裏がある、ある程度仕方がないと思われるでしょうか。

戦後、日本の繁栄は、同じように海外からの資金や技術援助で実現されたものです。日本は1970年代初頭には、海外からの借金を終え、その後ドナー(援助)国に変わりました。援助を受けて繁栄を得た日本ですから、今度は同じように開発途上国の繁栄を支援する。これは当然のことだと思いますし、それができている日本を誇りに思います。しかし、どうでしょうか。そのように多額の税金を海外援助に向け、相手国の繁栄を期待した。でも、そうした国々から、日本への感謝の声は私達に届いているでしょうか。私はそうは思われません。お隣り韓国、そして中国には日本から多額に資金援助のみならず、技術移転も行われてきました。そして、今日の繁栄へと結びついていると、そう私は理解しています。それが過去の戦争を持ち出し、戦時における理不尽な行為に対して謝れと、何度も突き付けられる実態は、日本のODAが、日本国家のために活かされなかったことの証のように、私は思います。故に、ボランタリーであろうと、国の支援ならなおさらです。支援行為で交わされる実態、かっこよく見える表ではない、裏の事実もそれなりに公開してしかるべきだと、私は考えます。コインの表を伝える人は、華々しくその成果を語れますが、実は、その裏にはなかなか表現し辛い事象があった。こうしたコインの裏も知っておく必要があると、私は考えます。皆さん、どう思われますか。

青年海外協力隊と次代の人材育成について

青年海外協力隊による支援は、今も続けられています。残念ながら、彼らの援助スタイルは今日も変わっていません。自らのスキル(個人属性に依存するのが一般的)を精一杯使って、開発途上国に役立ちたい。心根は見上げたものとして、彼らにエールを送りたい。しかし、日本の外務省ならびにその下部組織であるJICAは、何かが分かっていない。それは、彼らを人材として育成するプログラムを用意していないことであると、私は見ています。

最も教えてもらいたい点は、マネジメントスキルです。つまり、「人」「物」「金」「情報」(技術)、「環境」の経営資源をどう使うと、自分に与えられたミッションが実現できるか。事業の計画、これに経営資源を配分、支援プロジェクトの進行途中で修正の必要があれば、必要に応じる。一人の青年海外協力隊員が事業を成すためのスキル(≒「マネジメントスキル」)を身に着けさせることです。従来の箱物援助に掛かる資金に比べれば安いものです。毎年の青年海外協力隊員の合格者数が、仮に2000人とします。同隊員を国際ビジネスマンに育てるために1億円を使うと、合計2000億円。2000人の国際人を育てると考えたら、決して高くはないと考えます。

日本政府が、世界で活躍する時、彼らがどのようにふるまうかで、日本のポジションが決まる。国連の常任理事国入りは、人材の育成あるのみだと考えます。徹底した国際ビジネスマン養成の場が、青年海外協力隊員に用意される。そうなると日本が変われると考えます。

現実はどうでしょうか、多くの青年海外協力隊員が帰国して、一般企業に就職できない理由の一つに、「浦島太郎現象」があります。経済社会と隔絶された環境に長期間放置されれば、経済観念は生まれないし、帰国しても一般社会になじめないのは当然の帰結と考えます。

いや、いかなる劣悪な環境でも衛星を使って通信はできます。中央とのコミュケーションは勿論、横の交流も容易です。ネット社会の青年海外協力隊員を、次代を担う国家の人材資源と考えるのであれば、これまでのプログラムの在り方は、間違っているように考えます。国に応じた優れた実践向けのODAコンサルタントを育てると言う視点もありだと考えます。マネジメントの勉強と語学(英語と現地語はネイティブスピーカークラスに)は必須ですし、国を代表しているというマインド教育も厳しく植え付けることが欠かせないと考えます。

以上のことが行われれば、ロータリークラブのような国際NGOが進めるボランタリーなプログラムもリードできますし、そうすることで、日本国ならびに日本人に対する多くのファン国や、人々を生み出すことが可能だと考えます。言うなれば、近い将来に開発途上国に向けた、武器を持たない平和部隊の構築と編成が可能となります。

青年海外協力隊には、日本のこの先の生き方を決める存在になってほしいものです。

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「公害を垂れ流して経済大国になった中国と富の占有率の拡大」

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上の図は、中国の一人当たりのGDPの推移を示したものです。21世紀に入って、中国は急速な勢いで経済発展をしていますが、これの意味するところは、言うまでもなく「エネルギー」と「資源の多消費」にともなうものです。
一人当たりのGDP(GDP/Capita)が示すように、経済的豊かさが飛躍的に伸びている一方で、中国は富の占有率(所得上位10%人口の資産が総資産に占める割合(%)※)の格差も広がっています。中国の富の占有率は、15年前の2000年には49%と、富の再分配が上手く行っていたと言えます。しかし、2014年には64%と跳ね上がっています。富の占有率の高い国は、他にも多く存在しますが、14年間と言う短い期間で富の占有率が進んだ国は、中国において他はないと紹介されています。

中国における富の占有率格差の拡大は、主要産業である石油、鉄鋼、化学、電力、繊維、銀行と言った国有企業が、21世紀に入って、相次ぎ国際証券取引所に上場したことが、その背景にあります。例えば、中国石油化工有限公司(中国三大石油会社の一つ)は2000年に香港、上海、ロンドン、ニュヨークの証券取引所に上場しています。宝山鋼鉄(山崎豊子氏の小説「大地の子」の舞台となった宝山製鉄所は、日本の支援で誕生した製鉄所です)は2002年に上海証券取引所に上場しています。多くの国有企業が上場したことによって、当該企業は多額の創業者利益を手中にしました。そして、これら企業の幹部(上級国家公務員や共産党幹部)は、自らの報酬額をつり上げ多額のお金を手にするようになり、大金持ちとなりました。これが富の占有率を大きく引き上げた原因です。

これら企業の経営者・幹部が、企業経営において社会的責任(CSR)感を持ち合わせていたならば、創業者利益は、それぞれの企業から排出される廃棄物(環境汚染物質)を適切に処理(公害防止対策)するために使われただろうと考えます。しかし、創業者利益は、企業経営者ならびに幹部の懐に向かいました。これが中国の環境汚染を深刻かつ長期化させている原因であると、私は考えています。つまり、富の占有率が高まったことは、富の再配分を誤ったことになります。中国は、2009年には日本を抜き世界第2位の経済大国となりましたが、環境問題は日本の1950、60年代頃と同じで、国土を汚染させ経済大国にのし上がった国と言えます。見方を変えると、日本の経験から極めて潜在的に大きな負の財産を抱えたことになります。

ご存知のように、日本も経済発展の過程で、最大の貿易相手国である米国と、1960年代後半に繊維分野での貿易摩擦を生じさせました。米国は、具体的に国名を上げませんでしたが「公害を垂れ流し続ける国が、市場経済に参入することは許されない」と、日本を間接的にけん制した経緯があります。日本の良いところは、このことを真摯に受け止め、急きょ政策転換を図ったことです。これが世に言われます1970(昭和45)年に開催された「公害国会」で、その後、公害防止に専念することになりました。残念ながら、今の中国に“モノを申せる”国家はなく、中国はやりたい放題です。大気汚染、水質汚染、土壌汚染、地盤沈下、騒音、振動、悪臭、日本ではこれらを「典型7公害」と呼んでいましたが、現在の中国はいずれの公害も深刻です。何故、環境汚染は改善されないのか、理由は以上縷々申し上げました通り、富の占有率の拡大、すなわち多くのリーダー達が、拝金主義に走ったからだと言うことができます。中国は日本が犯した轍を踏んでいます。日本は、米国から正されました。しかし、中国に公然と“モノを申せない”日本が情けない。私はそう感じています。なお、日本は富の再分配が最も進んだ国の一つで、2014年現在で占有率は48.5%です。世界一位はベルギーで、47.2%となっています。見方を変えれば、日本はベルギーとともに何処の国よりも社会主義的な国と言えます(※:「低欲望社会」大前研一著 p23、24参照)。

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シーシェパードが制作したドキュメンタリー「ザ・コーヴ」は、動…

シーシェパードが制作したドキュメンタリー「ザ・コーヴ」は、動物虐待に当たるのか。

2015年5月13日の日経朝刊の「春秋」に、 和歌山県太地町のイルカ漁を描いた、米国のアカデミー賞のドキュメンタリー部門でオスカーを取った「ザ・コーヴ」の紹介から、日本の水族館のイルカは太地町の漁師が水族館用に捕獲したものと知った世界動物園水族館協会(WAZA)が、日本の動物園水族館協会(JAZA)の資格を停止したとの紹介がありました。太地町からのイルカの調達を止めないと、他の動物について海外から提供が受けられなくなるというものです。

イギリスの動物福祉団体“コンパッション・イン・ワールド・ファーミング(Compassion in World Farming:CIWF)”という組織は、家畜の飼養や魚などの養殖において、動物福祉を考慮した対応が必要であるとの考えを世界に発信しています(出展:ファーマゲドンより)。現在は、牛や豚、また鶏などの家畜は、バタリーケージやソウ・ストールと言った身動きのできない檻の中で、しかも極めて密集した状態で飼養されているケースが多く、加えて家畜に与えられる餌も遺伝子組み換え作物(GMO)であるトウモロコシや大豆の飼料に、育成を速めるための栄養剤やホルモン剤などが混ぜられ、病気の予防のために抗生物質や、ワクチン注射などが定期的に行われているようです。身動きのできない空間で餌を流し込まれるように食べさせられ、出荷を早めるために育成期間の短縮が驚異的に図られているようです。例えば、A4判1ページ相当の空間しかないバタリーケージに押し込められた鶏は、羽ばたきもできず、ストレスから隣の鶏を突っつき怪我をさせることから、嘴が切られています。その切り方も粗野で、切られる嘴の格好はまちまちだということです。こうした状態の密集型飼養は、動物に対して多大なストレスを与え、その状態で造られた肉は不健康な肉であり、人間にとって良くない食べ物となっていると紹介されています。強制的に早期に太らせるホルモン剤は、当然、肉に残留しており、それを食べる人間もその影響を受けると言うものです。

先進国は勿論、開発途上国でも最近はファーストフード店が増えてきています。こうしたチェーン店は、密集型畜産(「工業型農業」という)で量産される安価な肉を仕入れ、これらを使った様々なメニューが用意され、私たちの口に入ります。特に、ハンバーグやチキンナゲットと言った食べ物を食べ続けると、肥満になるとも言われています。

要するに、家畜やその他動物を工業型農業手法で育てることは、動物にストレスを与え、加えて、病気の感染予防のために抗生物質が入った飼料が与えられています。家畜の主な食糧であるトウモロコシや大豆も、遺伝子組換えを行った種子(GM種子)を使って育てられたもので、これら遺伝子組み換えによる生産物(GMO)は、直接・間接に膨大なエネルギーと水を使って育てられたものと言えます。ここで言うエネルギーとは、GM種子の開発行為には、直接・間接に膨大なエネルギーが消費されています。つまりエネルギーの多消費により生まれたものと言えます。そして、圃場では、従来の作物(トウモロコシ、大豆等)に使用した農薬や殺虫剤とは、比較にならない強力な農薬ならびに殺虫剤が使われていると言われています。これは大地に化学物質を大量にまく結果となり、土へのストレスは極めて大きなものとなり、土壌、水質、大気汚染のもととなっています

こうした中で、今日ではすでにその強力な農薬や殺虫剤に対して耐性を持つ病害虫が生まれてきており、GMOのさらなる改良が必要になっていているようです。例えば、トウモロコシを枯らす根切り虫を寄せ付けないGM種子が造られ、当初は効果があったようですが、既にそのGN種子に耐性を持った根切り虫が現れてきているようです。笑えない話ですが、映画“メインブラック”のような、さらに耐性をもった病害虫や細菌類の出現は、当然、考えられることです。こうした工業型農業はエネルギー多消費型であり、極めて環境負荷の高いやり方といえます。

アカデミー賞のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の話から拡散してしまいましたが、この「工業型農業」が最も盛んな国は米国です。その技術が南米のブラジルやアルゼンチン、そして中国等でも受け入れられ、動物虐待と言える生産形態が取られている事実を鑑みると、米国に本部を置く「シーシェパード」が強引ともいえる手法で、「ザ・コーヴ」の対象とした和歌山県大地町のイルカ漁を、一方的に非難することができるでしょうか。

自分たちの足元に、動物虐待と言える家畜飼養や養殖が行われている事実を棚上げし、日本の動物園水族館協会(JAZA)の資格を停止したとは。何とも物事の公平さに欠ける措置のように、私は感じてなりません。イヌイットのアザラシ猟などは、自分たちが食べるものだけで乱獲をしない。日本のイルカ漁も、昔からの伝統を守り乱獲している訳ではありません。

私は、コンパッション・イン・ワールド・ファーミングの活動は、とても素晴らしいと感じました。工業型農業が最も進んでいるのが米国や南米、ヨーロッパ、あるいはオーストラリアもそうかも知れません。シーシェパードは、米国の組織、設立者はグリーンピースを脱会したカナダ人であると紹介されていました。

欧米人は、木を見て森を見ない人種が多いのか、WAZAあるいはシーシェパードの連中に、工業型農業のあり様について、どう思われるか聞いてみたいものです。『貴方達は、牛、豚、鶏の肉、さらに養殖魚あるいはエビ等を食べない、完全なベジタリアン(vegetarian)なのですか』と。今、世界で起こっている地球環境に負荷を与えている国はどこでしょうか。シーシェパードの面々が、ISO 26000に則った活動に異存がないと言うならば、行動を起こす対象が間違っているのではないでしょうか。行動に対する説明責任(accountability)を持っているというのなら? 矛盾した行動は社会を混乱に陥れるだけで、無責任と言わざるを得ません。日本にもシーシェパードの支部があるようですが、如何なものでしょうか?

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ゼロ戦からMRJへ

零戦からMRJへ:https://www.youtube.com/watch?v=6m2R_4xm4jw
日本の誇る零式艦上戦闘機の初飛行は、私の生まれる8年前の1939年でした。極めて運動性能の優れた戦闘機として米国を怖がらせたようです。最高時速518km/hで、機体が軽く航続距離も長かったようです。零戦は終戦までに10,000機以上も造られたようです。
https://www.google.co.jp/search…
戦後から19年が経った1964年(零戦から25年)、日本は米国から飛行機製造が許され、初めて製造した飛行機が、双発のターボプロップエンジン方式のワイエス・イレブン(YS-11)でした。座席数64席、航続距離は1,110km、巡航速度444 km/h のコミューター機として、延べ180台造られましたが、1971年に製造が打ち切られています。
聞くところによると、米国は日本に飛行機を造らせたくないという意図があったようです。理由は、航空自衛隊機は米国の戦闘機を購入し配備していますが、日本に配備された後、これら戦闘機は日本側で整備ならびに修理が行われています。適切にメンテナンスを行うには、当然、戦闘機の設計図が必要となります。日本は、米国から提供された戦闘機図面を良く理解し、整備を繰り返す中で、米国から引き渡された時よりも運動性能を始め様々な改良を加え、戦闘機の性能を大幅に向上させているようです。

こうした実態を見た米国は、正直日本に飛行機を造らせたくないと言うのが、その背景にあったようです。つまり、76年前の零戦の性能を想起させたのかも知れません。零戦から25年後にYS-11を、そしてYS-11から43年経って、日本はようやくオリジナルジェット機の完成を見たのが、三菱のMRJ(Mitsubishi Regional Jet:http://ja.wikipedia.org/wiki/MRJ)で、当初、3月25日に試験飛行が予定されていましたが、残念にも未経験による不具合が明らかとなり(ニュースから)、試験飛行は8月に延期されることになりました。

私は、決して戦争を望む者ではありませんが、日本の技術の粋を集めたジェット機が、世界の空を飛び回る姿を、早く見たいと思っています。だってそうでしょう、日本の技術力を証明する絶好の機会ですか。

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PM2.5によって良性腫瘍に罹った娘を抱える母の思い

中国の元CCTV(中国中央電子台)人気キャスタ-柴静(Chai Jing)が、”アンダー・ザ・ドーム”(中国版TED)で、自分の娘がPM2.5により良性の腫瘍に罹った「」ことから、中国のPM2.5汚染の実態を、自らの足で取材し、制作したYouTubeを題材に、プレゼンテーションを行ったところ、このYouTubが全世界で1億回もクリックされるという炎上を起こした。2012年12月に中国北京の米国大使館が、PM2.5のモニタリングデータを公開、これをはるかにしのぐ、ニュースとして世界を駆け巡った。 柴静(Chai Jing):アンダー・ザ・ドームで、PM2.5について、プレゼンテーションを行う!「柴静のPM2.5プレゼン150307

柴静(Chai Jing)

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「PM2.5によって腫瘍に掛かった娘を抱える母の思い」(私は…

私は、行動を起こすことを決断した!

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私は、朝のCCTVから流れるニュースに満足していません。私は基本的には政府に逆らう考えはありませんが、何か行動をしたいと思い、2015年3月1日に立ち上がることにしました。

私は今の生活の中で、この瞬間に「何かをしなければならない」という、衝動に駆られました。私はCCTV(中国中央電子台)の出身ですが、退職し長く沈黙を続けてきましたが、「アンダー・ザ・ドーム」(中国版TED)でプレゼンターを務めることにしました。この動画は、自分自身(柴静:Chai Jing)で制作したものです。103分の映像は、今日の深刻な大気中の微小粒子状物質(PM2.5)に関する発生のメカニズムと、その問題点についてまとめたものです。私、柴静は、これまで時間をかけPM2.5について、それに関する情報やその濃度測定を続けてまいりました。

私は、CCTV在職中に一人の娘を宿し、出産、これをきっかけにCCTVを退職しました。娘の誕生後、娘は病を発症し、その診断内容が良性の腫瘍であることが明らかになりました。私は、原因が何であるか、本能的にPM2.5との関係を疑ってしまいました。これは、仕事していた時の取材を通しての気づきでもありました。今は、この疑に対して、私は、中国は「PM2.5という、人間の目で見えない小さな敵との戦争状態に置かれている」と、思っています。

職業経験と母性本能がPM2.5の課題を指摘する!

私は、2013年10月に娘を出産し、CCTVを辞職しました。私、柴静は、CCTVの朝チャンネルでニュースキャスターとして、で多くの人々に親しまれてきました。現在の主な仕事は、娘の世話をすることです。私は、CCTV時代に、PM2.5の課題に関する番組を取り上げたことがあります。この「アンダー・ザ・ドーム」に出演する前、人民日報のインタビューに、こう答えています。CCTVを辞職した背景について、子供が病気に掛かっていることを明らかにしました。この後、私は、全ての仕事、そして仕事関係での招待を辞退し、子供の面倒を見ることに全力を尽くしています。

私は、中国版TEDに出演した理由は、PM2.5と娘の病気の現実を知っていただくためです。私は、出産に際して、ただ娘の健康以外、何も望みませんでした。しかし、娘は良性腫瘍と診断されたのです。この病気を治すには手術が必要ですが、極めてリスクの高い全身麻酔を掛ける必要があると言われました。実際に手術をしてもらいましたが、医師からは、術後に「手術は成功でしたよ」と言われましたが、彼女は昏睡状態にあり、目を覚ますことはありません。私は、この場で(中国版TED)で、PM2.5が、私の娘の主体性を奪い去ったと、痛感したことを、皆さんにお伝えしたいと考えました。

公害問題に強く注目!

以後、コミュニティや福祉問題に強く関心を寄せるようになったのは、こうした背景に基づくものです。深刻な公害問題、PM2.5はその一つに過ぎませんが。そして、私は、過去の職業経験上、PM2.5を始めとする様々な公害問題について、その原因を明らかにし、多くの皆様に知っていただく、そうした活動を推し進めたと決心いたしました。この動画を製作するに当たって、私はマスクも着用せず、いろいろな場所でインタビューをしてまいりました。多くのお母さん方を対象に、自分達が呼吸している空気について、食品について、彼女らが怖がっていることを実感することができました。母親である前に、一人の人間であることを、強く実感させられました。インタビューを重ねるほどに、憤りの感情を抑えることの難しさも、味わいました。現実に突き付けられている事情を考えると、私達の未来はどうなるのでしょうか。

微小粒子状物質(PM2.5)の発生源を私費で調査

私は、オンサイトによる動画撮影のみならず、公共のビデオについても調査を行いました。そして、様々なデータについての比較検討も行いました。情報は、環境の専門家から、また、実際に石油コンビナートや様々な産業の現場に赴き、インタビューを通し得ることができました。私は、1年間を掛け、私費(約2000万円)で、この動画を製作いたしました。この動画のポイントは、あらかじめ答えを用意していただいたものではなく、体当たりで得たものであり、こうしたインタビューに対して、誰も拒否することなく、私の質問に答えていただいたことは、本当にありがたく思っておりますし、感謝しています。

私の活動は、米国や英国でも紹介されており、大気汚染防止の基本形として、新たな評価を得ています。つまり、私が公開したYouTubeサイトには、全世界において閲覧していただいているようです。私は、PM2.5の源がどこで、途中でどのように変化し、そして私達のところへやってくるのか、客観的にPM2.5について説明するのは容易ではないですが、これらの根本的な発生原因、またこれらの有害性について学習しました。PM2.5は、石炭や石油の燃焼に伴い大気中に排出される微小粒子や様々な有害ガス成分などが、その原因であること、そして実際にこれら施設が適切に管理されていないこと、またその管理が難しいことについて学びました。そして、大気汚染の少ない都市におけるPM2.5の状況ついても知ることができました。いずれにしても、中国におけるPM2.5の原因の60%以上が、石炭や石油等のエネルギー燃焼に伴い発生する問題であることが分かりました。

中国で起こっている公害問題は、同時多発的で過去のどの国も未体験

中国で経験している現状は、他国では見られなかったケースで、例えば、石炭の消費量は、中国一国で世界の消費量を上回る(2013年度)こと、さらに自動車の普及率についても急速で、これほどの変化をもたらした国は、過去の歴史の中には見られません。つまり、世界で最も急成長している発展途上国であるということ、そして、消費する石炭の量の多さと質の悪さの2点が、PM2.5の問題を深刻にしていることです。私は、中国の抱える2つの問題点を明らかにし、この問題の解決に役立ちたいと考えています。その一つが、質の良い燃料への転換です。二つ目が、管理(環境保全対策)です。これらの実現に、私は、現在の「大気規制法」の改定が急務であると考えています。そして、本件について、私は全国代表人民大会(NPC)の法律委員会に情報提供を求めています。中国における「改正民事訴訟法」の関係者は、私の提案に対して考慮すると言っていただきました。加えて、石油やガスに関係する国家改革委員会は、私の提案に対して歓迎の意思を表明してくれています。

インターネット上で炎上する中国のPM2.5問題

私の「中国版TED」で紹介した動画は、ビデオサイトで放映され、2015年3月2日午後8時30分のプラットフォーム・ブロード・キャスト・ネットワークで35万回もクリックされています。また、先週段階で「中国版TED」だけでは、2000万回クリックされています。こうした現象は、マイクロブログやツイッターによる効果も大きいと見ています。私は、同じ空の下で暮らすものとして、PM2.5が他人事ではなく、自分達の事として共感を引き起こしたものと思っています。「中国版TED」が、環境問題において連帯を呼び起こしたということができます。そして、喫緊の問題として「PM2.5を無くし」、「きれいな空気を呼び戻そう!」が挙げられます。

私は、純粋な母親の立場において、皆さんの共感を得たと信じています。私の活動は、ホットスポットになりつつありますが、国内で流行っている言葉に、「私は死を恐れてはいない、正直に言うと、ここに住みたくはない」と言う表現は、禁句であると思います。私は、自分で番組製作会社を持つ考えはありませんが、こうしたテーマのドキュメンタリーが、公共放送で放映されることを期待しています。また、そうした友人が増えることを望んでいます。こうした思いは、ソーシャル・ネット・ワーク(SNS)が私を勇気づけたと思っています。

柴静のメッセージは客観性であるか?

私の、メッセージに対して、娘の病気を引合いにだし問題提起をしたことに、客観性があるかとの疑問を投げかけられていますが、人間として、人の親として、我が子の病気がPM2.5による可能性が大だと言われれば、黙っていられるでしょうか。世界的の類まれなる大発展途上国であるが故に、私達の生活を脅かす環境汚染が許されてよいものでしょうか。

あとがき

中国では、ジャーリストとして、自分の子供が大気汚染物質であるPM2.5による疾病を受けたことを題材に、環境問題を語ることが許されないようだ。恐らく、一般人なら簡単に握りつぶされたテーマであろう。中国版TED「アンダー・ザ・ドーム」が、中国政府を暗に非難する内容であったことに対して、放映された後に気づき、早速、握りつぶしにかかっている。当初、環境大臣が「よくぞ話してくれたと感謝をしている」との情報もあるが、2012年12月、米国大使館が自らモニタリングしていたPM2.5データをインターネットで公開され、世界中に知られることとなった事件と比較すると、身内から公然と公害撲滅の行動を起こしたことになる。恐らく中国版TEDには、プレゼンテーションする内容の事前検閲があったであろうが、具体的に政府批判をしている内容でもないことから、加えて、かつてCCTVで有名なキャスターを務めていたことから、その品格とでもいようか、計算されたプレゼンテーション力に、問題の本質を見ることを見誤ったというのが、中国政府サイドのぬかった点ではないであろうか。これで開かれた中国に変わるとは思われないが、ネットの持つ意味は極めて大きいことに気付かされる

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