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『ファインバブル(水質技術革命)が養豚排せつ物処理の世界を変…

微細な気泡(ファインバブル:Fine Babble)が、私たちの食糧生産を助けるより持続可能な技術として認知されつつあります。ここでは初歩的な実験室実験における、養豚排せつ物(豚尿)の効果的な処理実績について、報告をさせていただきます。

 

 

“ファインバブル”(微細な気泡)という言葉は、最近多くの人々が耳にするようになってきたと、筆者は認識しています。海の回遊魚である「はまち」の養殖や、内陸の温泉地域での「トラフグ」の養殖、さらに「エビ」の養殖についても、内陸の河川流域で養殖する技術も確立されています。加えて、野菜(葉物や苺など)についても、屋内で栽培する水耕栽培が盛んに行われるようになってきています。私たちが必要とするこれら食糧の栽培・育成方法が、大きく変貌を遂げようとしています。これらを可能にしたのは、栽培・育成に欠かせない水の革命、すなわち“ファインバブル”をより多く水中に送り込む技術の進歩です。つまり、必要とする「水質の技術革命」がなしえたものと、筆者は見ています。“ファインバブル”の登場により、水中の酸素濃度を従来の1.5倍も高めることに成功した。この技術革命により、「動植物の育成・栽培手法に革命」が起こったと、私は考えています。

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シーシェパードが制作したドキュメンタリー「ザ・コーヴ」は、動…

シーシェパードが制作したドキュメンタリー「ザ・コーヴ」は、動物虐待に当たるのか。

2015年5月13日の日経朝刊の「春秋」に、 和歌山県太地町のイルカ漁を描いた、米国のアカデミー賞のドキュメンタリー部門でオスカーを取った「ザ・コーヴ」の紹介から、日本の水族館のイルカは太地町の漁師が水族館用に捕獲したものと知った世界動物園水族館協会(WAZA)が、日本の動物園水族館協会(JAZA)の資格を停止したとの紹介がありました。太地町からのイルカの調達を止めないと、他の動物について海外から提供が受けられなくなるというものです。

イギリスの動物福祉団体“コンパッション・イン・ワールド・ファーミング(Compassion in World Farming:CIWF)”という組織は、家畜の飼養や魚などの養殖において、動物福祉を考慮した対応が必要であるとの考えを世界に発信しています(出展:ファーマゲドンより)。現在は、牛や豚、また鶏などの家畜は、バタリーケージやソウ・ストールと言った身動きのできない檻の中で、しかも極めて密集した状態で飼養されているケースが多く、加えて家畜に与えられる餌も遺伝子組み換え作物(GMO)であるトウモロコシや大豆の飼料に、育成を速めるための栄養剤やホルモン剤などが混ぜられ、病気の予防のために抗生物質や、ワクチン注射などが定期的に行われているようです。身動きのできない空間で餌を流し込まれるように食べさせられ、出荷を早めるために育成期間の短縮が驚異的に図られているようです。例えば、A4判1ページ相当の空間しかないバタリーケージに押し込められた鶏は、羽ばたきもできず、ストレスから隣の鶏を突っつき怪我をさせることから、嘴が切られています。その切り方も粗野で、切られる嘴の格好はまちまちだということです。こうした状態の密集型飼養は、動物に対して多大なストレスを与え、その状態で造られた肉は不健康な肉であり、人間にとって良くない食べ物となっていると紹介されています。強制的に早期に太らせるホルモン剤は、当然、肉に残留しており、それを食べる人間もその影響を受けると言うものです。

先進国は勿論、開発途上国でも最近はファーストフード店が増えてきています。こうしたチェーン店は、密集型畜産(「工業型農業」という)で量産される安価な肉を仕入れ、これらを使った様々なメニューが用意され、私たちの口に入ります。特に、ハンバーグやチキンナゲットと言った食べ物を食べ続けると、肥満になるとも言われています。

要するに、家畜やその他動物を工業型農業手法で育てることは、動物にストレスを与え、加えて、病気の感染予防のために抗生物質が入った飼料が与えられています。家畜の主な食糧であるトウモロコシや大豆も、遺伝子組換えを行った種子(GM種子)を使って育てられたもので、これら遺伝子組み換えによる生産物(GMO)は、直接・間接に膨大なエネルギーと水を使って育てられたものと言えます。ここで言うエネルギーとは、GM種子の開発行為には、直接・間接に膨大なエネルギーが消費されています。つまりエネルギーの多消費により生まれたものと言えます。そして、圃場では、従来の作物(トウモロコシ、大豆等)に使用した農薬や殺虫剤とは、比較にならない強力な農薬ならびに殺虫剤が使われていると言われています。これは大地に化学物質を大量にまく結果となり、土へのストレスは極めて大きなものとなり、土壌、水質、大気汚染のもととなっています

こうした中で、今日ではすでにその強力な農薬や殺虫剤に対して耐性を持つ病害虫が生まれてきており、GMOのさらなる改良が必要になっていているようです。例えば、トウモロコシを枯らす根切り虫を寄せ付けないGM種子が造られ、当初は効果があったようですが、既にそのGN種子に耐性を持った根切り虫が現れてきているようです。笑えない話ですが、映画“メインブラック”のような、さらに耐性をもった病害虫や細菌類の出現は、当然、考えられることです。こうした工業型農業はエネルギー多消費型であり、極めて環境負荷の高いやり方といえます。

アカデミー賞のドキュメンタリー映画「ザ・コーヴ」の話から拡散してしまいましたが、この「工業型農業」が最も盛んな国は米国です。その技術が南米のブラジルやアルゼンチン、そして中国等でも受け入れられ、動物虐待と言える生産形態が取られている事実を鑑みると、米国に本部を置く「シーシェパード」が強引ともいえる手法で、「ザ・コーヴ」の対象とした和歌山県大地町のイルカ漁を、一方的に非難することができるでしょうか。

自分たちの足元に、動物虐待と言える家畜飼養や養殖が行われている事実を棚上げし、日本の動物園水族館協会(JAZA)の資格を停止したとは。何とも物事の公平さに欠ける措置のように、私は感じてなりません。イヌイットのアザラシ猟などは、自分たちが食べるものだけで乱獲をしない。日本のイルカ漁も、昔からの伝統を守り乱獲している訳ではありません。

私は、コンパッション・イン・ワールド・ファーミングの活動は、とても素晴らしいと感じました。工業型農業が最も進んでいるのが米国や南米、ヨーロッパ、あるいはオーストラリアもそうかも知れません。シーシェパードは、米国の組織、設立者はグリーンピースを脱会したカナダ人であると紹介されていました。

欧米人は、木を見て森を見ない人種が多いのか、WAZAあるいはシーシェパードの連中に、工業型農業のあり様について、どう思われるか聞いてみたいものです。『貴方達は、牛、豚、鶏の肉、さらに養殖魚あるいはエビ等を食べない、完全なベジタリアン(vegetarian)なのですか』と。今、世界で起こっている地球環境に負荷を与えている国はどこでしょうか。シーシェパードの面々が、ISO 26000に則った活動に異存がないと言うならば、行動を起こす対象が間違っているのではないでしょうか。行動に対する説明責任(accountability)を持っているというのなら? 矛盾した行動は社会を混乱に陥れるだけで、無責任と言わざるを得ません。日本にもシーシェパードの支部があるようですが、如何なものでしょうか?

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食品の賞味期限の表記の変更について、この日本はどこかおかしい…

この一週間、7月4日の朝日放送の報道ステーションで、ニュースキャスターの古舘氏が、食品廃棄物の多さを、月当たり500~800万トンであることを紹介した。次いで7月7日のNHKのニュース・ウオッチ9では、大越キャスターが農林水産省の統計で年に5百数十~800万トンと紹介した。ニュースキャスターは、一般家庭で一人当たり1日どれだけのゴミが出されているのか、こうした廃棄物発生量のオーダー感覚をもった形で、統計数字の紹介をしたのかはなはだ疑問に感じた。私が印象に残っているのは、真山仁著「黙示」の中の324ページに、「飽食の国、日本」につて触れ、この中に日本は年間2,189万トンの食品廃棄物を出しており、これが世界一であることが書かれていた。ニュースではこうした数字とは、およそかけ離れた数値を紹介している。ちなみに、一人当たり一日の廃棄物量が約800g~1kgとすると、1kg/日は年間365kgのゴミが発生する。これに日本の人口1億2,700万人を掛け合わすと、365kg/年✖1.27✖108人=4.63✖1010kg/年となり、これをトンで表すと4.63✖107トンとなる。家庭ゴミだけでも4,630万トンのゴミが発生している。このゴミには、燃えないもの(金属片やガラス、陶器の欠片や、萌えるものとして食べ物滓としての厨芥類やプラスチックなどが混在している。家庭ごみの湿重要で最も多いのは厨芥類で約50%[1]を占めている。家庭ごみで食品ゴミの占める割合を考慮すると、生鮮食糧品の製造や惣菜を作る企業サイドの食品の売れ残り廃棄量が500~800万トン/年(月は誤りでしょう)は、如何にも少な過ぎではありませんか。

 

ちなみに、養豚場から排出される年間の廃棄物量はおよそ2,000万トン/年です(日本には約980万頭の豚が飼養されている)。食品廃棄物の量は、ほぼこの量に匹敵します。「飽食の国、日本」として紹介された”日本が世界一の食べ物を捨てている国で、その量が年間実に2,189万トンにも及ぶ”という方が、どうも正しい数字のように思います。ニュースを報道する人たちは、統計数字を発表する場合、オーダー感覚を持って情報を発信される責任があると考えます。提供される統計値について、自分で検証するくらいことはやられるべきです。大切なメッセーを国民に向け行って発しているのですから。農水省によればではなく、その読み上げる数字の妥当性、少なくともオーダー感覚を持っていただき、対応を願いたいものです。

 

なお、私は賞味期限の表記の問題を問うより、造り過ぎの問題を指摘しても良いと考えます。日持ちしない生鮮食料品や惣菜類を、ロスなく生産・販売する新しい仕組みの検討が急がれます。ものづくりでは、余分な材料や部品などを在庫として抱えない、下請け会社が必要な時間帯に工場に届ける、しっかりタイムマネジメントを行いロスの少ない生産活動を実現しています。代用的な事例として、トヨタのカンバン方式≒”ジャストインタイム”があります。消費者のニーズする量あるいは消費量に合わせ、食品の製造あるいは惣菜の生産に取り組める仕組み、あらかじめインターネットで注文を取る、それに基づき生産に取り掛かること、ネット社会では可能になっています。テレビで双方向のコミュニケーションが可能な時代です。食材を無駄なく生産し、利用していただく仕組みづくりは、そんなに難しいことではないと考えます。

 

賞味期間の表記のあり方は、木を見て森を見ない付け焼刃的な手法にしか聞こえません。世界一食べ物を無駄にしている国、その汚名を払拭するには、食糧生産から流通、そして二次加工ならびに消費までのプロセスまでの革新を起こす時代が到来したと考えます。食べ物は相対的に付加価値が低い、したがって、若者はこの世界に魅力ある労働の姿があると見ていません。漁業、畜産から野菜、果物づくり実態を見ると、その大変さに多くの若者は敬遠します。そしてそれを加工する世界も同様です。人件費の安価な国や地域で大量に作られている。消費者はそれを焼くなり熱を加えるだけ。そうしたことをも省き、現在では電子レンジで「チン」で済まされます。食品を大切にしようとする動きを作り出すことも必要でしょうが、それよりも食材の絶対量を大量に確保し、これを加工する側ほうが、食品の無駄を初めから作り出していると見るのが妥当だと考えます。自由主義経済の下、儲かると見れば消費側のキャパシティーも考えずに大量生産に走る、この実態の改善が、賞味期限の表記を議論するより先決事項であると、私は考えます。

 

みなさんもご存知のように、スーパーマーケットやデパ地下の生鮮食品や惣菜売り場では、閉店間際になると、1時間前の製品価格の半値に下げ、売りきろうと大声を張り上げ消費を煽っています。捨てるよりは買い取っていただき、消費していただきたい。良い試みだとは思いますが、売れずに多くの生鮮食料や惣菜がウインドウに残っている姿も多々拝見します。これらはどうなるのか、当然廃棄でしょう。安く売りきろうとすることは良いことだと思いますが、それでも多くの食品が売れ残る。やはり、消費量に見合う生産システムの構築が急がれると考えます。需要と供給のバランスを考えた、生産と流通システムのあり方を、これは国家として取り組むべきだと、私は考えます。ICTの発達した今日、例えば航空券についてはネットで70%が買われているといいます。閉ざされた系を考えた場合、需給バランスのコントロールは容易です。どうでしょうか、都市における食品の売買量は既にデータとしてあると考えます。多少のアロワンス持ったものづくり。そろそろ競争の原理を見直さないと、少なくとも食の公平な分配は難しいと考えます。

年間、2,000万トンの食品廃棄物の発生は以上です(物質循環と環境汚染問題にも通じるテーマです)。

http://www.tokyokankyo.jp/kankyoken_contents/archive/solidwaste/waste/h07-fine.pdf

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